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前(さき)に生まれん者(もの)は後(のち)を導き  後に生まれん者(ひと)は前を訪え

平成23年1月

前(さき)に生まれん者(もの)は後(のち)を導き
    後に生まれん者(ひと)は前を訪え

 前に生まれ、お念仏の教えをいただいた者は、後に生まれた者を導いていきなさい。そして、後に生まれた者は、お念仏の教えをいただいた者を訪ねていってほしい。 (筆者現代語訳)

 この言葉は親鸞聖人が書かれた「教行信証」という書物の最後に出てくる言葉です。親鸞聖人の直接の言葉ではなく、七高僧の一人である道綽禅師(中国)の「安楽集」という書物に出てくる言葉を、親鸞聖人が引用されたものです。

 ここで重要な点は、親鸞聖人は「者」という漢字を、「前に生まれん者」は「もの」、「後に生まれん者」を「ひと」というようにわざわざ読み替えています。

 「者」を「ひと」と読むのは、親鸞聖人独自の読み方です。「ひと(人)」とは、人間、真の人間、すぐれた人という意味を持っています。では、何故親鸞聖人は「後に生まれん者」を「ひと」というようにわざわざ読み替えたのでしょうか。

 現代も同様、教え(言葉)を正確に相手に伝えることはとても難しいことです。なぜなら、言葉を受け取る側の解釈が様々だからです。たった一言伝えるだけの伝言ゲームですら間違うことがあります。噂もどこまでが真実かわからないものです。ですから、親鸞聖人が生きておられた時代においても、全く異なった教えが伝わり様々な問題がおきていたのは事実です。そのような中で、親鸞聖人がいただいたお念仏の教えをしっかりと受け継ぎ、伝えていって欲しいという願いはとても大きなものだったでしょう。

 だからこそ、親鸞聖人は、「後に生まれん者(ひと)」に対して、このお念仏の教えをよくいただいて下さったという尊敬の念と同時に、どうぞこの教えを訪ね、伝えていって欲しいという願いをこの言葉に込められたのではないでしょうか。

 代々受け継がれてきた伝統や文化と同様、お念仏の教えをいただいた者は、その教えを伝えていくという大きな責任があります。「教行信証」はとても難しい書物です。しかし、その中にはお念仏の歴史を先立って伝えて下さった方々の言葉が記されています。親鸞聖人が出遇われたお念仏の教えが真実であることの確かめが、この「教行信証」なのです。

 そして、最後にこの言葉を引用されていることを思えば、長い年月をかけて脈々と受け継がれてきたお念仏の歴史を、どうぞあなたも歩んでいって下さいとう呼びかけと同時に、きっと受け継つぎ伝えてくれるであろうという信頼の念を感じさせられるのです。

 今、私の所まで受け継がれてきたお念仏の教えを、これからもしっかりと聞き続けていかなければならないと強く感じました。

深草 教子

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