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平成29年12月の「今月の言葉」随想

浄土を本国として この世を生きる 竹中智秀

 12月になり、今年もいよいよ終わりが近づいてきました。先月の11月28日は、宗祖親鸞聖人の御命日でした。福浄寺ではこれから門徒報恩講、年明け1月に御正忌報恩講が厳修されますように、各地方の寺院や家々で親鸞聖人の御命日を縁として勤める報恩講の季節です。その報恩講を迎えるにあたり、「親鸞聖人は誰だったのか」ということが、一つの大きなテーマになると思います。

 親鸞聖人は、9歳で出家得度され、それから29歳までを比叡山で過ごされました。29歳のとき、念仏者法然上人と出会い、親鸞聖人自身も念仏に生きる歩みを始められます。しかし親鸞聖人が34歳の時に、一つの事件が起こります。「承元の法難」です。奈良の興福寺の僧侶が、法然上人とその弟子たちに九ヶ条の罪を上げて処罰するように朝廷に訴えたのです。そして翌年には院の御所の女房たちが、法然門下の住蓮房・安楽房の念仏会に加わったことが後鳥羽上皇の怒りを呼び、興福寺の訴えが取り上げられて、住蓮房ら4人が死罪、法然上人はじめ8人が流罪に処せられました。師と共に流罪にあった親鸞聖人は、僧の身分を奪われて還俗させられ、さらに罪人としての名前を受けて越後に流されました。

 私は、今月の「浄土を本国として この世を生きる」という竹中先生の言葉の背景には、この親鸞聖人の体験された「承元の法難」という事件があるのだろうと思います。

 「国とは何か」という問題です。

 おそらく親鸞聖人は9歳の時出家して、世間とか国家の仕組みを離れたという意識があられたのだろうと思います。しかし、比叡山も世間的な価値観を中心としていたのでしょう。そのことを知られて山を下りられたのですが、さらに「承元の法難」によって、さらに思い知らされたのだろうと思います。僧侶といっても、それは天皇を中心とした律令制の中での僧であり、政治によって作られた身分としての僧でしかなかったことが、法難による還俗ということによってあらわになったのではないでしょうか。

 流罪以後、親鸞聖人は法然上人との出会いのなかで、受け取ったものが何であったのか。それを現実の社会の中で、念仏に生きるものとしての名告りを具体的にどう示すことができるか。その問い返しの中で「非僧非俗」「しかればすでに僧にあらず、俗にあらず」と名告れたのだと思います。単に国の仕組み、世間の仕組みのなかに身分として位置づけられる僧侶でもないし俗人でもない。「このゆえに禿の字をもって姓とす。」「愚禿」というのは凡夫のことでしょう。「非僧非俗、愚禿」という名告りは、ただ世間の仕組みの中での僧俗ということを突き破って、阿弥陀如来が開かれた浄土を本国として、そこに身を据えてみれば、凡夫という事実の自分自身と、そして自と他とが偽りなく出会える場が開かれてくるという叫びのように思えます。

 今日も国と国との争いは止むことがありません。私たちは日本という国に生まれ「日本国籍」を生きていますが、真宗の門徒として、この親鸞聖人の名告りを憶うとき、阿弥陀の国「浄土」を本国として、日本を生きる「在日浄土人」という生き方が、聖人によって既に示されていることをあらためて気づかされました。

 (深草誓弥)平成29年12月

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