永代経法要の御案内
亡き父母を 縁(えにし)に出遇う 無量の寿仏(ほとけ)
仏壇の中のお母さん (小学校三年男児)
『ぼくは、あかんぼうのときおとうさんをなくしたので、きょうだいもなくお母さんとふたりきりでした。そのお母さんまでがぼくだけひとりおいて、お父さんのいるおはかへいってしまったのです。いまはおじさん、おばさんのいえにいます。まいにち学校にいくまえに、お母さんのいるぶつだんにむかって、いってまいりますをするので、お母さんがすぐそばにいるようなきがします。お母さんはぼくのむねの中にいて、ぼくのことをみています。』
生きているものだけがただ出会うだけでなくて、なくなった方でも、ちゃんと常に出会っている。生きていらっしゃった時よりも、もっと本当に出会っている。これが仏様の願いに答える出会いの世界じゃないだろうか。 (東井義雄)
声なき姿なき親を前にして、我々は何を思うだろうか。「亡き人が、亡き身をもって、何を語ろうとしているのか」という、声なき人の声に耳を澄ませる時、常に私を見守り続ける亡き人の「ねがい」が聞こえてくるに違いない。
秋の永代経法要を下記の如く厳修致します。永代、無量寿の経教に依って御先祖の遺徳を偲びつつ、御恩の誠を尽くさんがための聞法の御縁にお遇い下さいませ。
記
日時 平成25年 10月18日(金)~20日(日) 午前9時半開筵
講題 「亡き人、先祖とは、その供養とは」
講師 福浄寺、住職及び寺中