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すべての人間は浄土を求めて生きているものなのだ 宮城顗

すべての人間は浄土を求めて生きているものなのだ 宮城顗

 アメリカとイスラエルは2月28日、イランへの攻撃を実施したと発表しました。トランプ氏は自身のソーシャルメディアにビデオを投稿。その中でイランについて、「核計画の再構築を試み、ヨーロッパの良き友人や同盟国、駐留米軍を脅かし、近いうちにアメリカ本土に到達し得る長距離ミサイルの開発を継続しようとした」と批判し、そのうえで、「この極めて邪悪で過激な独裁政権がアメリカを脅かすのを防ぐ」ため、「大規模な」作戦を実施していると述べました。そして続報で、イランの最高指導者ハメネイ氏が亡くなったとニュースが報じました。

 パキスタンに潜伏していたビン・ラディンをアメリカの軍隊が急襲して一方的に殺害したことを思い起こします。テロ予防を旗印に危険思想の首謀者を殺害するポリティカルキリング(政治的殺害)が世界中に拡大したのはそれからではないでしょうか。

 自国の軍隊を動かし他国に攻撃を仕掛けて人を殺す。これを私は戦争だと思うのですが、どのメディアでも今回のイランへの攻撃を戦争だといいません。「むしろ平和のため」、「イランを開放するため」の「作戦」だというのです。知らず知らず、この殺戮を必要、あるいは仕方がない事と受容していく世界にも違和感を感じます。

 映画監督、森達也氏の「最大の自衛は、自分たちの安全を脅かす可能性がある存在を、洩らすことなく予防的に消滅させること」という言葉が思い起こされます。人は自衛を大義にしながら人を殺す。武器を持っていては過剰防衛になりうる。ならば武器を棄てようというのが日本国憲法第九条の精神だと私自身思っていますが、その憲法の精神はどこにいってしまうのでしょうか。

 他者のいのちの重さ、痛み、悲しみが少しも感じ取れないばかりか、自分の利益になるのか損失になるかしか考えられない。そういう地獄といえる世界が現前していると痛切に感じるのです。そしてこの私も自分の思いでもって相手を切り刻むような、その人がその人であることを奪うような武器をもって地獄をつくっています。地獄はどこかの誰かがつくった世界ではなく、この世を生きる人間一人一人がつくりうる世界でしょう。

 浄土が建立された願いをあらためて思いますと、私たちが本当に願わなければならない、求めていかなければならない在り方を知らせるはたらきがあることを思います。そして同時に知らされるのは私たちの現実の生活がいかに地獄化しているかということです。

 「すべての人間は浄土を求めて生きているものなのだ」と語られた宮城顗先生は、次のように語られていました。

 親鸞聖人は「敬いて一切往生人(おうじょうにん)に白(もう)さく」と言っておられます。つまり、すべての人間は往生人だということです。往生浄土の道を歩んでおられる者なのだということです。一切というところには、そのことに目覚めて歩んでいる人、今初めて目覚めて歩み出した人、そして残念ながら、まだ目覚めていないけれども、そのいのちの叫びとして実はいのち自身が浄土を求めている、そういういのちを生きておられる人、そういう意味で一切の人は往生人であると言っておられるのです。そして「敬いて白さく」と、すべての人に向かって「敬って申し上げます」と親鸞聖人は言っておられます。 『浄土真宗の教え―真実の教・行・信・証--』

 戦争の悲劇が繰り返される世を生きる私たちですが、私は傷つけ合いを「これでいい」といえないものが、どんな人のなかにもうごめいていると思います。だからこそ、悲願の声を聞かなければならないと思うのです。 令和8年3月 深草誓弥

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