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「忘れない」 ということは ただおぼえているというものではなく 「これでいいのか」と問いつづけることである

平成23年5月

“忘れない”ということは ただおぼえているというものではなく
「これでいいのか」と問いつづけることである

 私たちが、普段使っている“忘”(わすれる)という言葉は、そもそもどういう意味が含まれているのでしょうか。確認をしながら尋ねてみたいと思います。

 辞典を開いてみると“「亡」と「心」の合字、心を失う意、亡はまた音”とあり、①覚えていない。記憶がなくなる。失念②心にかけない と書かれています。もともと、“忘”という字は“忘れてしまう”という意味が含まれているということが言えると思います。つまり、“忘れない”ということは、忘れていってしまう事を、しっかりと印象として記憶しそれを心に掛けるということが確認できます。

 それは、今月の言葉に返ってみると、“忘れない”ということが、単なる覚えているということではなく、その覚えているものが、私自身に、問い掛けをしているということです。意識して、記憶に残そうというものではなく、私にとって本当に大切な課題、生きるうえでの大切な問い、つまり道しるべとして“忘れない”いうことが言えると思います。

 ちょうど、無量寿経というお経に「聞法能不忘」(法を聞きて能く忘れず)というお言葉があります。教えの言葉が、私にとって本当に心の拠り所として聞くことができたならば、そのことはよく心に留まって忘れることはない。ということです。覚える事や、記憶しておかなければならないことは、普段の生活の中でも山のようにあります。

 そのたくさんの中から、言葉なら言葉の中に、私が生きるうえにおいて、本当に大切な言葉があり、それを探すということが願われ、また、それを求めているのだと思います。

 このお経の言葉には、前があります。それは、「人有信慧難 若聞精進求」(人、信慧あること難し。もし聞かば精進して求めよ。)です。私たち人間は、真実を見抜き、それを信ずるという智慧を得る事はとても難しい存在で、その困難な中にあって、真実に出遭うことができたのならば、精進してそれを求めなさい。という意味です。私たちが、意識しないところで、依り処となるものを探しているのです。しかし、そのことになかなか気づくことができないし、その心に素直に遵えないという問題を抱えているのも私たちの姿ではないでしょうか。

 今回の大震災は、マグニチュード9という凄まじい揺れ、高さ20メートルの津波。想像もしていなかった自然災害によって、日頃頼みとしていたものすべてが、破壊され奪われたのではないでしょうか。さらに、人類の知恵の結晶である“原子力”というエネルギーも人類に悪影響を及ぼし、自然環境までも壊していくという大きな矛盾の前に立たされています。

 本当に、なにを信じていいのか分らない状態です。今月の言葉を思った時に、この身の回りで起きていることを、単なる大きな出来事として覚えているだけの問題ではないと思います。“これでいいのか”という問いとして、日頃、頼みとし、依り所としているところをもう一度確かめ、生きる方向の確認として“忘れない”問いかけとして、しっかりと受け止めてゆかなければなりません。

(立白法友)

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