ロゴ:福浄寺

トップイメージ1 トップイメージ2 トップイメージ3

平成20年以降の掲示板の言葉

*月 一日の空過は やがて 一生の空過となる

*月 地獄はなし 人間 つくりさえしなければ

*月 死に対する恐怖と同じくらい 
   生に対して感動したことがあるだろうか

*月 いのちに驚きを感じないままの教えなら 
   人生のアクセサリーにすぎません

7月 「呟き」
   台風の進路が 外れてくれれば それでいい 
   そんなものが祈る 世の中の安穏とは 
   なんだろうか

8月 「敵と共に」
   平和とは何だろうか 敵と共に生きられる
   そんな世界ではないのか

5月 素直に長寿めでたし 無量寿に帰依して
   真にめでたし        (寺敬老会)

*月 煩悩のあるかぎり 仏さまには成れないが
   ご信心をいただき 仏に成るに決定する

*月 亡き人にお経をあげるのではなく 
   亡き人に対する慕情を通して お経をいただく 
                 (永代経)

*月 恩を返すというけれど 返しても済まないから
   ご恩なんでしょう

*月 聞いた仏法が時々じわっと邪魔に感じてくれば
   もうホンモノです

*月 願いを聞こう 願われて 願われて
   願われて生まれてきた 
   願われて育てられてきた
   その願いを 聞く身になろう (浅田正作)

*月 「業縁」
   親を殺した 子を殺した 妻殺し 夫殺し 
   私はやっていないが ただ業縁がないだけ
                 (浅田正作)

*月 うかつもの
   今日もまた 目が覚めたを
   何とも思わず 一日がはじまった あさましや
   目が覚めたことを 当たり前にして
   何が喜べようか

*月 正義であれば 戦争をしてもよいのか
             (イラク戦争開始の時) 

 

【平成17年】

1月 百八つ 減る気配なく 除夜の警鐘

2月 「葬式」
   凡夫が佛になる この生涯学習は 
   人生からさよならしたときに
   卒業式がしてもらえる
   世間ではそれを お葬式というけれど

3月 「往復」
   穢土とは 何かに追われている世界
   浄土とは 人生を見つめて歩む世界
   念仏とは 穢土と浄土を往復する世界 (彼岸会)

4月 食えなければ死ぬ 食うても死ぬ
   人は食うためにのみ 
   生まれてきたのではない

5月 和かなるを以て 貴しとなす
   平和は軍事力で構築するよりも
   柔軟な対話が最良の道である

6月 自力を捨てるということは 
   自分の分限を知ることです    (曽我師)

   悟るというても 迷うていることを 悟るのである
                   (安田師)

7月 「間違い」
   誰かひとり 目覚めたひとがおれば それでいい
   だがそれを 他人に求めるのは 間違いだ

8月 亡き人に 迷うなと 拝まれている この私

9月 地獄とは 楽を求めて苦しむ世界
   極楽とは 苦を転じて楽しむ世界
   どちらにもつけず 迷うている私

10月 なるほどそうかと 頷ける喜びがあるので 
    この世のいのち終わるまで 私は聞かせてもらう

11月 死 見つめて生きる人にこそ 死はやさしく
    生はなつかしい(浅田正作)

12月 仏法は人生の基礎工事
    見えないだけに手抜きは禁物

 

【平成18年】

1月 煩悩に馳使われて 走り回って 年あらたに
                  正月(浅田正作)

   ご恩思えば みなご恩
   この才市もご恩で できました  御正忌(才市)

2月 亡き人のご冥福を祈ってお経をあげるより
   亡き人から案じられていたと
   お経をいただく

3月 水はつかむことが出来ません 汲むものです
   心はつかむことが出来ません 汲むものです

4月 人の欠点に 気が付くのは
   同じものが 私の心に あるからだ

5月 一寸先は闇という よく見れば
   その闇は 私の中にある

7月 喜びに 目覚めない 悲しみは 愚痴である
                   (宮城 顗)

8月 世事に 無関心な人は
   仏法を 聞いても 感動しない

9月 愚かさを 知るは賢く 賢く見せるは 愚かなり

10月 私を とりまく 一切が
    諸佛であると 今 知った  (木村 無村)

11月 人間(我)を中心に「いのちこそ大切」
    と言うているのなら
    それは最も傲慢ないきものの
    セリフではなかろうか

12月 いのちの 尊さを 知ればこそ 
それを証明する 生き方が 大切である (門徒報恩講)

御正忌 「当たり前が」
当たり前が拝める。 当たり前が 当たり前でなかったと
 当たり前が拝めるとき どうにも始末のつかん
 わが身から ひまがもらえる  (浅田 正作)

 

【平成19年】

1月  正月  元日や 朝から ものの 不平なる (子規)

2月  健康と 長生きだけの 幸せならば 
    最後は 死の不幸で 閉じねばならない

3月  大悲方便 助かる道の真中で 座り込まぬように
    如来さまは次々と 苦悩を与えて下さる (浅田 正作)

4月  如来の大悲は 人間の在り方を 悲しむ心であり
    浄土へ向かわしめようとの 心である

5月  見える  
    昔は いつも誰かと 自分をくらべて
    いじけたり のぼせたり 今もやっぱり
    それをやるが やったあと それが見える (浅田 正作)

7月  雨なしの 空梅雨つづきを 愚痴っていたら
    本格的梅雨がきて また 愚痴がでた

8月  私の目は 私を見られない。 鏡に写った私は本物ではない。

(お盆)帰る家のない旅は 放浪である 
    帰る家があってはじめて旅といえる。
    人生も同じこと。 行く先(帰る処)が
    はっきりしていないから 疲れるのである。

9月 「人は死んだら どうなるの?」
   「きっと 私を育てる 人となる」

10月 死してなお 親は子を育てる 
    また 親なればこそ 亡き子に 育てられる

11月 道に迷ったら たちどまって 道を知っている人に 尋ねるのが一番 
    そのうちにと 思っていると 日が暮れてしまう (鈴木章子)

12月 恩は返せる ものではなく ただ謝する のみである

【平成20年】

1月 元旦は ただ 申し訳けなし 今年の ごみの 出しはじめ

報恩講  念仏の 聞こえるところ そこに 法あり そこに 友あり (廣瀬 杲)

2月 親先祖のおかげには間違いはない ただその先祖の最初が 
    釈迦如来であったと 仰ぐことが出来れば 真実有り難い (平野 修)

3月 念仏は 悩みをなくす 術ではない 悩んでゆける 道である

4月 遠慶宿縁
   お念仏の声を聞き 生まれ  お念仏の声を聞き 育ち
  お念仏の声を聞き 生活し  お念仏の声を聞き 死んで往ける
  凡夫の私  (ある念仏者)

5月 素直に 長寿めでたし 無量寿に南無(帰命)すること はなはだ有難し

6月 あってはならないことを繰り返す わたしたち愚人よ
   決して「止むを得ないこと」と認めてはならない
   そう認めると全てが 無責任となる (平野 修)

7月 罪の身を 蚊にも食わせぬ 凡夫かな (句仏)

8月 亡き人に 迷うなと 拝まれている この私

関連リンク