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「後生の一大事」 解散総選挙 日本の方向を選択する 一票というが その一票を決める 自己自身の方向が 選択されているだろうか (浅田正作)

平成21年7月

  「後生の一大事」
    解散総選挙
    日本の方向を選択する
    一票というが
    その一票を決める
    自己自身の方向が
    選択されているだろうか
              (浅田正作)

 麻生内閣の支持率も伸び悩み、経済の低迷、政治への不信等々、たくさんの問題と課題を抱えた中、8月30日に衆議院議員の総選挙が行われます。

 投票に行かない人の言葉・・・「誰が選ばれても、政治は変わらないでしょ」・・・しかし多少なりとも税金を国に払っているなら、きちんと税金を使ってくれそうな人(政治家)を選びたいものです。

 「日本の方向を選択する一票」 もちろん、たった一人の一票ですべて決まるというわけではないですが、これからの日本の方向を選択することになることはたしかです。一体誰にかじ取りを任せるか、慎重に選んでいきましょう。

 今月の言葉は「あなたの人生の方向は決まっているのですか、どこに向かって歩んでいるのですか」という問いかけです。それは大きな問いであり、なかなか答えが出ない問いです。

 例えば、公園で道に迷ったときは掲示されている地図を探し、次にその地図の赤い点で書いてある現在地を探すように、まず方向を見定めるためにはまず現在地を見定めることが必要になります。私はどこにいて、どういう世界に住んでいるのか、ということです。

 そしてその現在地を知るためにはどうしたらいいでしょうか。ウロウロ彷徨っていてはますます奥深くに迷い込みますので、先ずは立ち止まる事から始まります。立ち止まらないと自分の周囲を見渡したり、足下を見ることはできません。

 しかし日常の生活の中でふと立ち止まり、我が人生の方向や、現在地を考えることは無いように思われます。仕事が忙しい、家事が忙しい、子育てが忙しいと忙しさに振り回されて、大事な事を見落として生きているのかもしれてません。

 作家の五木寛之さんは「宗教はブレーキである」と仰いました。人間を立ち止まらせるはたらきは宗教だということです。「宗教」”自分(人間)を超えたはたらき”に出会わないと、立ち止まる事はできません。

 立ち止まる中で、過去(今まで歩んできた道)が明らかになり・未来(行き着く先、帰着点としての成仏)という人間の奥底の願いが明らかに知られ・現在(成仏すべく歩んでいる今)を往生道として戴いてゆけるのであると思われます。そしてブレーキは、もう一度歩み出す出発点にもなっていきます。

 蓮如上人はすでに500年以上前に、人生の方向を見定めよと「後生の一大事」と御文の中で教えられていました。

 「後生」という言葉の意味は今の命(今生)が終わった後、すなわち(来世、死後)という事になります。この「後生」を真正面から受け止めようとすれば「死んだ後が大事だったら、今生きる事とは関係ない」とはなりません。かえって来世・死後から、今生を問われてくる事もあるはずです。

 チベット死者の書「バルド ソドル」の巻頭には
   彼の意志に反して人は死ぬ。死ぬことを学ぶことなく。
   死ぬことを学べ。そして汝は、生きることを学ぶだろう。
   死ぬことを学ばなかったものは、生きることを何も学ばないだろう。
         『死ぬ技術の書』より

という言葉があります。必ず命終わってゆく私が、今をどう生き、これからどう生きてゆくのか。「後生の一大事」はもはや「今生の一大事」へと転換されてゆくものであります。

 自分の人生の方向も決まっていない者が、国の方向まで決められるわけがない。という事もあるかもしれませんが、とりあえずは一票を投票し、それからじっくり「自己自身の方向・現在地」を見定めていきましょう。

(貢清春)

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