平成21年11月
骨道を行く
人生 それは絶望以上の
現実だった
だが この苦悩に
身を投じ 骨となって
願いに生きた人がある
骨道ひとすじ
私もこの道を行こう
(浅田正作)
みなさんは「ガン叶(がんかな)」と言う言葉をご存じでしょうか。これは「がんばれば必ず夢は叶う」の言葉の略語として言われるそうです。
この言葉は現代の若者達への応援歌の中で歌われたり、成功者のインタビューのメッセージとして多く使われる言葉です。またがんばって夢を叶えた人達のドキュメント番組が放送され、人々に感動を与える事もあります。
若者に夢や希望や理想を持たせることは大事ですし、そのための努力を惜しまないことは人生にとって尊いことです。しかし精一杯努力してもその願いが叶えられない場合もあります。夢が叶わずに絶望している人々に、それでも変わらずに「あきらめるな」「がんばれ」「夢を持とう」と言うのでしょうか。
自らを成功者と自負し、誇る生き方をする人は、がんばって成功した苦労話がいつの間にか自慢話になり、聞いている側は「いつこの話は終わるんだろう」とじっと我慢しなければならない、ということがあります。その自慢話の中では挫折談は語られません。
真の成功者はおそらく大きな挫折も味わってきたことでしょう。その様な方々は成功談だけでなく、挫折や絶望から立ち上がれる言葉を伝え、絶望を受け止めるこころを養うことが大事ではないでしょうか。
「人生、それは想像以上の現実」その苦悩の多い人生を、浅田正作氏はどう生きられたのでしょうか。
標題の「骨道」の由来は、今から約千六百年前の中国の三蔵法師、法顕という方が残した『法顕伝』の中に「唯、死人の枯骨を以て、標識と為すのみ」という言葉があるそうです。
これは中国の三蔵(個人名でなく仏典を中国語に翻訳する役職名)がシルクロードを通って天竺へ行かれた時のきびしい情景を表しておられます。当時は砂漠の道なき道を太陽で方角を知り、足だけを頼りに天竺を目指されました。
目印になるものは何もなく、ただ点在する枯れ果てた人骨を道しるべ「標識」とするだけです。その人骨が表すことは、私の歩みに先立ってこの道を歩んで下さった人がおられたということ。そしてその骨となったお方の歩みは、決して順風満帆ではなく、様々な逆境や苦難を身に受けて力尽きられたのかもしれない。しかしその骨が道標となって私を励まし、天竺へと導いて下さっている。その導きをいただいたことを「骨道」の言葉で表現したのでありましょう。
そして「骨道」とは、ただシルクロードの事だけを表した言葉ではなく、真実の教えを追い求め、その教えを伝え、相続して下さった無量の先輩方が歩んだ道を「骨道」としていただかれたのだと思われます。
浅田正作氏が人生の中で出会ってきた人、親鸞聖人をはじめ無数の先祖や善知識は、念仏の中に苦悩や挫折の人生を生き尽くせる道を残して下さった。その生ききった証として骨を残してくれた。その願いに生きた人の姿が「私もこの道を行こう、骨道を行く」とこの人を歩ませているのではないかと思います。
(貢清春筆)