平成22年5月
いろいろと 覚えたばかりに 愚者になれず 身うごきがとれません 浅田正作
たくさんのことを身につけて、成長していく我々ですが、その身につけたことに安心してしまい、学ぶ姿勢を失って、歩みがストップしてしまう姿を教えて下さっているように思います。
私達は、ものをたくさん知っていれば、賢いと言い、ものを全く知らなければ、愚か者と言います。そんな私達が思っている、賢と愚について親鸞聖人は、「愚禿が心は、内は愚にして、外は賢なり。」と、全く反対であると教えています。それは、自分の愚かさを本当に知っている者を賢と言い、自分の愚かさを知らずに外に賢く振る舞う者を愚と言っているのです。これは、今日私達が、さまざまな問題を内面に抱えていながら、それを隠し、ごまかし、自分に嘘をついて、外面に自らを演じて生きている姿を、問題にしていると言えるのではないかと思います。
ものを覚え、経験を積むほどに自信がついてきて、安心してしまいます。しかし、それに安心して、腰をすえてしまう生き方に、“本当にそれでいいのか”というのが、今月の言葉ではないかと思います。又、親鸞聖人は、「自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す」と、自分勝手な考えによって、教えの言葉を確認しないまま、決めつけてしまう事になげいておられます。その決めつけてしまう事に、浅田さんは“身うごきがとれません”と表現しておられるのではないかと思います。
“自分は、本当になにも知らなかった”という頷きのところに、柔軟さがあらわれ、学ぶ者としての歩みが生まれるのではないかと今月の言葉をうけて感じました。
(立白法友)