ロゴ:福浄寺

トップイメージ1 トップイメージ2 トップイメージ3

楽を追えば 楽は逃げていく  苦から逃げれば 苦は追いかけて来る

平成22年6月

楽を追えば 楽は逃げていく
苦から逃げれば 苦は追いかけて来る

  「人生楽ありゃ苦もあるさ」という言葉もあるように、私たちの人生には、楽もあれば苦もあります。そして、「鬼は外、福は内」という豆まきの言葉のように、私たちは願わくは福があればいい、「楽」に生きたいと思っています。では、なぜ「楽を追えば楽は逃げ」、「苦から逃げれば苦は追いかけて来る」のでしょうか。

 私は、月に一度の仏教青年会という学習会で、「どんなに気晴らしをしても晴れない闇がある」という話を聞きました。それは、人はどうしても「楽」に生きたいという思いはあります。そして、大抵の人は、悩みのない、楽しい生活が良い人生だと思っています。だから、楽しい毎日であればそれがずっと続くことを願い、職場や家庭内での人間関係で悩むことがあれば、気晴らしや気分転換をしてその状況から逃れようとしたり、考えないようにしてしまいます。
 しかし、楽しみはずっと続くわけではありません。病気や何かの縁で状況が急変することもあります。また、悩みや苦しみも、いくら気晴らしをした所で、その時は発散されても現実が変わることはないのです。反対に、避けようとすればするほど、どうにもならに現実に苦しむことになっていないでしょうか。
 学習会では、それを、「楽や苦に左右されるむなしい生活」であると抑えてありました。そして、それが「むなしい生活」であることに気付かせていただくのが仏教の教えです。

 仏前結婚式の誓いにこのような言葉があります
 「愛に伴うの敬をもってし、一生苦楽を共にする事を誓いますか」
この言葉は、これから同じ現実の場に立つ者として、苦楽を共にする、どのような現実も二人でしっかりと受け止めていくという誓いです。また、以前の掲示板の言葉には、
 「地獄とは 楽を求めて苦しむ世界 極楽とは 苦を転じて楽しむ世界」
とありました。病気の時は健康を求める、老いると若さを求める、すると、どうにもならない現実にいよいよ苦しみます。しかし、「苦を転じて楽しむ」とは「苦」から逃げるのではなく、そのありのままの現実を受け止めていくことです。それは、苦難に耐え忍ぶことや我慢することではありません。「苦」から逃げずに現実に立つということです。すると、そこには「楽」とか「苦」というものでは左右されない生活があるではないでしょうか。

 今月の掲示板の言葉は、「楽」や「苦」ということだけを考えて生活していませんか、その前に、今の生活や現実をきちんと受け止めていますか、という私への投げかけの言葉のような気がしました。

(深草 教子)

関連リンク