ロゴ:福浄寺

トップイメージ1 トップイメージ2 トップイメージ3

過去は死者がつくってきた その死者の声を聞くことで 歴史はつながってくる (門脇 健)

平成23年2月

過去は死者がつくってきた その死者の声を聞くことで 歴史はつながってくる (門脇 健)

 今月は、永代経法要が勤まる。永代経とはお経の名前ではなく、お経を永代まで伝えていくという願いを基に行われる行事である。そのお経を読む縁としては、亡き先祖の供養というものが多いようだが、浄土真宗では、亡き人の供養という名目でお経は拝読していない。亡き人は、生きている私たちを仏前に導いて下さる諸仏として、いただいているため、亡き人を偲ぶご縁としてお釈迦様の教えが書かれた、お経に生きている者が耳を傾ける機会としている。

 今月の言葉を受け、ふと思い出すのは、私が三才の時に亡くなった、願生院という法名を名乗っている祖父のことである。願生とは、「よろずの衆生、本願の報土へうまれんとねがえとなり。」(いのちある全てのものは、本願によって成就された真実の浄土へ生れようと願えということである。)と親鸞聖人はおさえられている。

 そんな祖父は、生前、家族にはきつく当たり、私の母にはとくにひどく当たったらしい。私が、母とけんかをした時に見せる態度や捨て台詞は、祖父そのものだったらしく、よく「じいちゃんも同じことをしていた。やめなさい。これで、じいちゃんの過ちは打ち止めだよ。」ということをよく言われていたことを思い出す。母はよほど悲しかったのだろう、残したくないことを口に出して、無くそうとしていた。言われた私の中には、面影すらない生前の祖父が一緒にいるような気がして、複雑な思いが心の中を畝(うね)っている。

 残したくないことをなぜ言い表すのかは理解できないが、たまたま仏教にあい、聞き学ぶうちに見えてきたことが“向き合う”ということだった。お釈迦様の説法を「対機説法」と言い、一人ひとりの苦悩と向き合って、その者の問題を見出し、それに応じた教えを説くというものだ。残したくないことを伝えさえしなければ、自然にそのことは消えていくのではないか、と思っていた私にとって、向き合うという仏教の姿勢は衝撃が大きかった。    

 人間のかかえている問題をはっきりと示して、その問題と向き合い、課題として引き受けていく姿勢なのだ。自分の中にある祖父の姿を嫌うときもあるが、その姿を仏教によって、消していくのではなく、教えによってそれが自分の姿であると知り、課題としていくという姿勢を教えられたように思っている。

 永代経法要という亡き人を思う機会に、“お浄土に生まれる道を歩んで行け”と呼びかける諸仏として、祖父を尋ね、教えを聞き直す姿勢を教えてくれている呼びかけとして祖父の声を聞いていこうと思う。

立白法友

関連リンク