故郷に帰れないから帰らないのと
帰れるけれども帰らないのとは違うのです 伊奈教勝
この言葉を残された伊奈教勝氏は1922年に真宗大谷派の寺院に生まれられます。しかし、1945年にハンセン病を発病され、「らい病は恐ろしい伝染病、遺伝病である」と誤った考え方にもとづく当時の法律、「らい予防法」によって、1947年から長島愛生園で隔離された生活を余儀なくされました。
伊奈氏は故郷を奪われ、人間としての存在を否定される強制隔離政策をうけ、故郷の家族に迷惑がかからないように、本名を捨てて「藤井善」と名前を変えて生活されます。「らい予防法」はハンセン病が薬で治るようになっても、1996年に廃止されるまで存在し続けた法律です。救済という名のもとにハンセン病患者を隔離し、共に生きる願いを放棄して存在そのものを隠してしまう法律です。伊奈氏は1989年に一度捨てた姓名を再び名告り、ハンセン病の正しい理解と知識を人々に訴える活動を始められます。本名を名告ることについて、伊奈氏は次のように述べられています。
「人間とは関係としての存在であります。お互いに「いのち」の尊厳を侵さないことが基盤でなければなりません。本名を名告るということは、私の「いのち」の尊厳を明らかにし、人間解放への宣言であります。それはまた同時に、他者の「いのち」の尊厳を確認することでもあります。」
差別は本質的に排除行為です。名前を奪うことは、その人がそこにいるにもかかわらず、そこにいないもののようにして排除することです。アニメ『千と千尋の神隠し』のなかでハクという少年が、「名前が奪われると帰り道が分からなくなるんだよ」と語るように、名前は故郷、私の存在の大地と深く結びついています。「故郷に帰れないから帰らない」と伊奈氏が語られていることは、故郷を奪われ、自ら「藤井善」と名を変えなければならなかった、強制隔離という差別の歴史を物語っています。「帰れるけれども帰らない」という言葉はどいう意味をもつのでしょうか。伊奈氏は公の場で本名を名告り、苦悩の末に故郷に帰ることを選ばれます。
「私にいつ帰ってきてもいいよと故郷が回復した時、私は療養所の仲間と一緒に納骨堂に入ろうと思った。心から安心できた。帰る自由と帰らない自由が私に与えられた」
安田理深先生は「存在の故郷」という言葉で浄土を教えておられます。「いつ帰ってきてもいいよ」という私の存在を受け止める故郷が回復したことで、伊奈氏は安心して、願いのかけられた自身のいのちを生きるという自由を獲得することができたのです。
私たちにとっての一大事の問題は、いつでも私は私自身でありうるか否かということに尽きます。現代という時代は人間のつくった価値観が人間を支配していく時代です。この時代のなかで、どのような私であっても、あるがままを私自身とすることのできる法が浄土真宗の法です。伊奈氏が本名を名告ることを選ばれた背景には、私と他者の「いのち」の尊厳を回復したいという願いがあります。その願いは名を奪うことによって、私が私自身である権利を奪う差別への深い悲しみから生まれているのです。それは「国に地獄、餓鬼、畜生なからしめん」とする法蔵菩薩の願心と通ずるものです。互いが互いを照らしだし、証明しあえる人間関係を実現したいという名告りです。
深草誓弥