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み仏に 救われありと 思い得ば 嘆きは消えむ 消えずともよし  伊藤佐千夫

   み仏に 救われありと 思い得ば 嘆きは消えむ 消えずともよし 

                 伊藤佐千夫

 伊藤佐千夫氏は正岡子規に師事し、アララギ派として明治、大正時代を生きた短歌歌人、小説家です。この歌を詠まれた背景には、わが子を不慮の事故で亡くしたということがあったといわれています。佐千夫は13人の子宝に恵まれていますが、5人は生まれて間もなく亡くなっています。明治42年、七女の七枝ちゃんは数えの3歳、満の1歳10ヵ月で亡くなってしまいました。その時のことを、左千夫は『奈々子』という小説に書いています。

 左千夫が出かけていたら、長女と女中がやって来て、「お父さん大変です。七ちゃんが池へ落ちて」と知らせに来た。驚いた左千夫は飛んで帰ってみると、妻が台所の土間で火をたいて七ちゃんを温めようとしている。そのうちお医者さんが来たけれども手遅れだった。池にあおむけになって浮いていたと聞き、子どもが池に落ちたら危ないと思っていながら、どうして早く池を埋めてしまわなかったのか、と左千夫は悔います。近所の人や親類がやって来て、お葬式をどういうふうにするかと話し合っている。それを左千夫は不快に感じ、妻はたまらなくなって、「今夜はあなたと二人きりでこの子の番をしたい」と訴えます。左千夫は「自分はもう泣くより外はない。自分の不注意を悔いて、自分の力なきを嘆いて泣くより外はない。美しい死顏も明日までは頼まれない、我が子を見守って泣くより外に術はない」と書いています。その時に詠んだ歌が、
  み仏に 救われありと おもひ得ば 嘆きは消えむ 消えずともよし
という歌です。七はお浄土へ帰っていったというけれど、大丈夫だろうか。仏様の国に生まれているだろうか。もし仏様に救われた確信が得られたならば、嘆きは消えるだろうか、安心できるだろうか。いや、「消えずともよし」、嘆きが消えなくてもいい。私は生涯かけて七のことを思い続けていく。それが左千夫の歌にこめられた意思ではないでしょうか。愛する子どもを亡くした親の気持ち、嘆きは「月日がたてば癒される」というような話ではないということを歌ったのです。

 現在、「亡き人を偲ぶ会」という告別式が盛んに行われています。その底に流れているのは亡くなった人、「死」とのつながりを見失い、悲しみ、嘆くことが苦しく、嫌悪すべきことだという意識でないでしょうか。私たちは「悲しんでばかりいられない」と忙しくし、悲しむ人には「早く元気出せ」と励ますように、悲しみを苦しみとして、その厳粛な事実から逃れようとします。しかし、「悲しみ、嘆き」ということこそ、亡き人の存在から呼び起こされてくることではないでしょうか。

 左千夫の歌には、念仏のなかで、自らのこころにおこる嘆きと正直に向き合おうとする精神が込められています。悲しみ、嘆きの深さが、逆に亡き人との関係の深さを証明するのです。そのこころを「消えずともよし」とする。我が身におこったこころを受け止めていこうとする姿勢です。困難に直面すれば、その苦しみを避け、空想の世界に閉じこもろうとする人間に、仏が事実を引き受ける智慧、「如実知見」をもたらすのが念仏です。  (深草誓弥)

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