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「一切衆生 悉有仏性」 ということは、ほんとうのことを話せば、だれにもわかるということです。(金子大栄)

「一切衆生 悉有仏性」 ということは、ほんとうのことを話せば、だれにもわかるということです。(金子大栄)

 今月の言葉は「涅槃経」のことばのこころを味わっておられます。「一切衆生 悉有仏性」とは、我々一切のいのちあるものは仏になる性、可能性をもっているという意味です。

 金子先生は、「ほんとうのことを話せばだれでも分かる」と言われますが、「ほんとうのこと」とは一体何なのでしょう。そのことを考えていく前にまず確かめておきたいことは、私の中に「ほんとうのこと」「真実なること」があるのか、ということです。

 親鸞聖人は我が身、この世界の姿を

 「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、よろずのことみなもって、そらごと、たわごと、まことあることなきに...」 (歎異抄)

と、煩悩にまみれた私達凡夫が作る世界は、全てが真実からかけ離れ、まことなることは一切無く、その時々の自分の勝手な都合だけを大事にして生きていると教えられます。

 また、私は一体何に成りたいのか、何を求めて生きているのかも分からず、今の自分に足りないものを探しては「あれが足りない、これが足りない」と、むさぼりの心で過ごしているのが実状です。仏教では、貪欲の煩悩にはせ使われている姿を「餓鬼」と教えられますが、そういう生活をしている私にさとりを開くこころや、仏に成るような性があるとは信じがたい事です。

 そういう生活をしている私達にも金子先生は、「ほんとうのことを話せば、だれにもわかる」と言われます。それは、人間の欲望の奥底には真実まことに反応する心がある、まことを求める心がある、という事ではないかと思います。清沢満之先生の言葉に

  「人心の至奥より出づる、至盛の要求の為に宗教あるなり」

という言葉があります。人間の心の最も奥底からわき出てくる最も盛んな要求の為に宗教があるというのです。生活の中で起こってくる時々の、様々な欲望を満たす為に宗教があるのではない。心の底から願っている要求に応えて下さるのが宗教です。

 その心の底から願っている要求とは、「私は仏になりたい」「成仏したい」ということです。成仏と言ったら死ぬ事と同じ意味に捉えられますが、成仏するということは、人間の迷い苦しみの根本である生死を超え、出離解脱することを意味します。よく命終えられたご遺体を「ほとけさん」ということがありますが、それは苦しみを生じさせる煩悩が既にはたらかなくなったお方である、苦しみから解放された安らかな姿である為そういう呼び方をするのです。

 だからといって、死ねば苦の問題が解決するのだから今は関係ない、という事ではありません。限りあるこの人生を空しく過ぎたくない、今の私を満足できる生き方をしたいという深い願いがあります。この人類の願いに応えて阿弥陀如来はご本願を建てられました。そのご本願は、凡夫が浄土へ往生する唯一の道として、念仏をお勧め下さっています。真の満足をいただくということは、念仏し成仏する道であります。

 仏教の話はよく分からない、難しいという声をよく聞くことがあります。私達坊主の法話に問題があるのかもしれませんが、人間がほんとうに求めている「仏に成りたい」という深い願いがはっきりすれば、その心に応えて下さる様にも感じます。  (貢 清春)

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