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父の骨からこのような言葉が聞こえてきた 「ここからもう一度、お前がしておることを考えてみろ」  宮城 顗

父の骨からこのような言葉が聞こえてきた

     「ここからもう一度、お前がしておることを考えてみろ」  宮城 顗

 今まで、お墓参りを何度もしてきましたが、私自身先祖とどう向き合ってきたのだろうか、どんな言葉をお骨から聞いてきたのだろうかと考えさせられた言葉です。

 皆さんは墓参り代行業があることをご存じでしょうか。若い世代は仕事が忙しくて遠方の墓まで行けない、高齢の方は行きたくても体調不良で行けず、頼める親戚もいない。そういう方への墓参り代行サービスです。料金を払えばお墓の清掃、献花、線香あげまでしてくれて、その状況の風景写真をメールに添付して報告してくれるという、大変便利な業者です。

 「先祖様はそんなことで喜ぶはずが無い、けしからん」や「先祖に対する暖かい心づかいだ」など賛否両論。現代の生活では墓を管理する事の大変さを感じますし、お墓に参る意味は何なのだろうかと考えさせられます。

 しかし、自分がお参りしても代行に頼んだとしてもお参りが済んだら、「これで気持ちがスッキリしました、ほっとしました」と胸をなで下ろし、私達が安心する訳です。先祖が喜ぶためと思ってしていることは、結局自分自身の気晴らしの為にしている様な気がします。

 今月の言葉の宮城先生は、大事なお父様が亡くなり遺骨と真向かいになった時に、「ここからもう一度、お前がしておることを考えてみろ」という言葉が聞こえてきたと仰います。お墓に参られてスッキリしたという事ではなく、逆に自分の人生に問いかける声に出会ったのです。骨になる死の世界から私の今の人生が厳しく問い直されたのであります。

 お念仏を頂いてこられた先達の方々は、その事を「後生の一大事」として受け取ってこられました。「後生」とは「今生」に対する言葉で、命終わった後の生という意味ですが、死んだ後が大事だとか、死んだ後のことだから今は関係ないということではありません。後生という世界から今生が照らされていくのです。

 どのような人でも終わっていく、骨になっていく身を生きています。その後生を一大事として生きるということは、後生の世界から見つめられている今をどう生きていくのですか、お前がしておることを考えてみろと、問いかけとしていただく事なのでしょう。

 逆に実生活では、「忙しいから」と目先のことに振り回されて大事なことを忘れながら生きている様に感じます。忙しいという漢字は「忄」こころを「亡」なくすと書きます。まさに文字通り私の姿を言い当てた漢字の成り立ちになっています。

 お墓で亡き人を拝み骨と対面するという事は、先祖の求め願われたことを訪ね、私の中に生き続ける問いとしていく事なのだと今月の言葉から再確認させられました。 (貢 清春)

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