仏教の不殺生(アヒンサー)の教えは 生命(いのち)あるものを殺すな というだけでなく 自他の生命(いのち)を生かす、大切に生きるということである
仏教の戒律とは、悟りを求める修行に於いて自発的に守ろうとする戒めのことで、次の5つをお釈迦様はお定めになりました。
①不殺生戒、殺してはいけない。
②不偸盗戒、盗んではいけない。
③不邪淫戒、不道徳な性行為を行ってはならない。
④不妄語戒、嘘をついてはいけない。
⑤不飲酒戒、酒を飲んではいけない。
さて、これが基本的な五戒です。出家の比丘たちはこの戒を守る為に生活を律し、精進して生きてこられました。とくに第一項目の「不殺生戒」は徹底しています。雨期になれば虫を踏みつぶさないようにと外出は控え、安居(あんご)という聞法会を開きました。乾期になり、お釈迦様が各地へ御説法に向かわれる際には、すり足で歩いて大地の生き物を殺さない様に気をつけておられたと伝えられています。水を飲むときでさえ布で濾過していたそうです。
「いのちあるものを殺すな」という不殺生とは、その様な仏の慈悲心を生活の中で実践して生きていこうとする、具体的な生活規範です。しかし私達の実生活を振り返ってみますと、殺生をせずには生きられません。徹底して不殺生を実践したら何も食べられなくなります。それならばなぜ、お釈迦様は不殺生戒を定められたのでしょうか。
不殺生戒を語るときには「守れるか」「守れないか」が議論されます。そして結局「この戒は守れないから必要ない」と考えてしまいます。しかしお釈迦様の本意は、戒を保つことによって私達のいのちは「殺生」という事実の上に成り立っている、その事に気付いてほしい。そして一切のいのちを生かす者になりなさい、そして命を愛する人になりなさいと、この事を伝えたいのだと思います。不殺生戒を守れない自分を発見すればこそ、自他のいのちを殺さず大切に生かそう、大切に生きあっていこうと生きる力が湧いてくるのです。
お釈迦様が誕生したときに大自然が喜び甘露の雨を降らせた、という伝承があります。その話を基にして、誕生仏に甘茶をかける「灌仏会」花祭りの行事が始まりました。なぜ大自然が喜んだのでしょう。それは、自然のいのちを我が物顔にして、むやみに殺したり粗末にしたりしない、そういう慈悲の人が生まれたのだ。その人「釈迦」の教えは、いのちを尊び愛する人を生み出していく。その事に大自然が喜んで雨を降らせたのだ、と解釈して良いのではないかと思います。
不殺生戒があるからこそ、私達が生きている喜びと悲しみが明らかになるのだと思います。だからこそ、多くのいのちをいただいていることの申し訳なさと、感謝の気持ちを感じていけるのでしょう。 貢 清春