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地獄を嫌う心が 地獄を造っていたのです 安田理深

地獄を嫌う心が 地獄を造っていたのです
                            安田理深
 今月の掲示板の言葉は地獄について安田理深先生が語られた言葉です。まず地獄についてですが、サンスクリット語ではナラカという言葉で表現されていた、「地下にある牢獄」という言葉の意味をとって地獄と翻訳されました。地獄は犯した罪のむくいとした苦を受ける場所と教えられてきました。源信僧都のあらわされた『往生要集』には八大地獄のことが、まるで見てきたことであるかのように詳しく描写されています。

 その八大地獄の一つ目にあげられているのが「等活地獄」です。この地獄はいたずらに殺生をしたものがその罪を懺悔しなければ落ちるという地獄ですが、この地獄に住む者は互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣で傷付けあい、殺しあう世界と示されています。生き残った者もさらに地獄の獄卒によって、切り刻まれ、粉砕されて死んでいくのですが、涼しい風が吹いて、獄卒が「活、活」と叫ぶと元の体に戻り、また殺しあう苦しみにあい続けなければならないという地獄です。この責め苦が終わることなく続くために「等活地獄」といわれますが、実は八大地獄全体を通して、何度でも肉体が再生して責め苦が終わることなく続くというのです。

 これまで、この地獄の教えは生前犯した罪の報いとして落ちる世界だと受け止められてきました。いのち終えて墜ちる世界としての地獄を恐ろしく感じてきました。しかし、一番の盲点は、落ちる地獄は恐ろしく思えても、その地獄を造りだしているのが自分のこころであることではないでしょうか。

 私たちは日ごろ、自分の思い通りになることを一番の中心に据えて生きています。思い通りにならない物事を何とかして変えてやろうとします。その思いは時に他者に対してはたらきます。「あいつさえいなければいいのに。」お互いに思いや利害の共通する時は仲良くできても、少しでも思いにそぐわない者であれば、暴力的に排除しようとしたり、意識の中から消してしまおうとします。このこころこそ、殺生と戒められていることであり、地獄を現に今、作り出しているこころではないでしょうか。

 この自己中心的な思いをもって自ら地獄を造っておきながら、「そのような責め苦が続く地獄はまっぴらごめんだ、清らかで、安らかな理想世界を自分の居場所としたい」ということは、また新たな地獄を作り出すことになるでしょう。現に人類はこれまで自らの理想的な世界を求めて、地獄を造り出してきました。日本は戦争の大義として欧米列強からアジアを解放するということを持ち出しました。ナチスドイツのユダヤ人の殺戮はゲルマン民族を守るためでした。ブッシュ政権のイラク侵攻も大量破壊兵器を持つテロリストから世界の平和を守るためでした。

 親鸞聖人は「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と語られたと唯円は歎異抄に記しています。仏教に照らし出された自らの在り方を地獄と誠実に述べられたこの言葉に、原爆投下、敗戦後72年の8月を迎えた今日、思いを新たにしています。 深草誓弥 平成29年8月

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