生は 死という 同伴者によって その輝きを増す (武満 徹)
今月の掲示板の言葉は武満徹さんという作曲家の言葉です。武満さんは独学で音楽を学ばれ、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開されました。晩年に膀胱癌に侵され65歳で亡くなられました。
この「生は死という 同伴者によって その輝きを増す」という言葉ですが、不思議な言葉だと感じます。普通は「生を脅かす死」であり、死は私たちに不安をもたらすものであるとしか受け取っていないからです。なるべく死を見ないように、考えないように忌み嫌って、「死のない生」として生きていくのが私たちの在り方でないでしょうか。あるとき、竹中智秀先生からこういうお話をお聞きしました。
『ある年、専修学院に一人の学生が入学してこられた。まわりの学生から魂が抜けたような顔をしていると少し避けられたりしていた。その学生はお寺の跡継ぎでもなく、彼自身ある問題を抱えていた。彼は高校時代、医師になることを目指して、医大に入るために夜遅くまで受験勉強をしていた。その彼の家には寝たきりのおばあさんがいて、離れに一人で住まわせて面倒をみていた。
ある冬の夜、遅くまで起きて勉強していたら、大きな声で「火事だ」という声がしたので外へ出ると、おばあさんのいる離れから火が出ていた。急いでいくともう火は完全に回っていた。とても助けられるような状態じゃなかった。すると火の中で立ち上がれるはずのないおばあさんが立っていてどうにか外に出ようとされていた。
彼は飛び込んで助けることが出来なかった。そのうちに屋根が落ちて、おばあさんは亡くなられた。それで彼は医者になろうとしていたが、医者になったとしたも、病人を治療して健康になっても、最後は死んでしまう。それは本当にたすかったことにならない。「医者になって安定した生活を」という人生設計が崩れてしまった。
その学生は目の前でおばあさんの死を見て、自分の中に死の問題が飛び込んできた。「死のある生」をどういきることが真実か、わからなくなって、仏教を学びに専修学院に来られた。まわりの学生は「死のない生」として明るく、元気に生きているが、「死のない生」ではなく「死のある生」だということを知ってしまった彼からすれば、まわりの学生のほうが異様だったのでしょう。どちらが健康だと思いますか。』
私たちは、ほとんどの人が身近な人の死に遇っています。ですから「死のある生」であることは、死にあっている人は誰もが見て知っているはずです。しかし、知ったにも関わらずもう一度「死のない生」としようとすることは、夢の中で拾った財布が、夢が覚めてもあると思っているようなもので、夢の中でいきることになります。竹中先生は、「死のない生をどう生きるかということに目覚めている彼のほうが健康です」といわれていました。
誰もが死なないで済むのでなく、必ず死を迎えます。仏教はその「死のある生」を見極めて、その死のある生をどう生きることが完全燃焼して生ききることになるのかを問うところからはじまります。生きることを輝かせるのは、死のある生という事実です。 (深草誓弥)平成29年10月