「殺」の上に 成り立っている 日暮らし それが 私たちの 日暮らしである
(広瀬杲)
七月は作上がり法筵をお勤めしました。この法筵は田植えが終了する頃に勤める法要で、自然の営みを自然(じねん)のはたらきとして受け止め、私たちの思いや計らいを超えたものに支えられていることを確かめる仏事です。先祖の方々は、全てのいのちが私たちへはたらきかけ、我がいのちが生かされて来たことをこの法筵において確かめてこられたのだと思います。
作上がり法筵が勤まるこの時期、梅雨を迎え田植えの準備が始まると、田んぼではカエルの大合唱が始まり、ジャンボタニシが畦に卵を産み付け、ホウネンエビが泳ぎ回り、大小様々な虫たちが生活している世界が見えてきます。丁度この頃は気温も上がり、虫たちや生き物の営みが活発になる時期でもあります。しかし人間に都合の良い虫たちばかりが出てくるわけではありません。都合の悪い虫たち、邪魔になる生き物もわき出てくるわけですから、殺さなければなりません。
「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ、殺して良いいのちは無い」と教えられていても、殺さないと作物が取れません。日常の日暮らしでは「殺」の事実がありながら、「そのようにしなければならないから、しょうがない」という言葉で自己弁護している私がいます。事実、知らされる我が身の姿は今月の言葉のように、「殺の上に成り立っている」日暮らしが、私たちの日暮らしであります。
広瀬先生は「滴々抄」という本の中で、榎本栄一さんの「罪悪深重」の詩を紹介され、自身のことを次のように語られます。
「罪悪深重」 榎本栄一
私はこんにちまで
海の大地の
無数の生きものを食べてきた
私のつみのふかさは
底しれず
......「罪悪深重ということばに、ほとんど何の感情も動かなくなっている私自身を思い知らされて愕然とした。なんという厚顔無恥なる今日を生きていることであろうか......。」
榎本栄一さんは、いのちを殺し食べ、今現に生きている事実を「罪悪深重」という言葉をもって懺悔されています。しかし広瀬先生は何の感情も動かない自分自身を恥ずかしく感じておられます。続けて、仏教教団が「不殺生戒」を第一の戒律として定めたのは何故だろうか、守れることの出来ない決まりを何故定めたのであろうかという問いに対して広瀬先生は、
......「しかし「不殺」は、私の生命にとっての死を意味する。殺さずしては生きることができない。思えば深重なる罪とは、行為における罪ではなく、存在することの罪であった。私の今日の生き死にが罪業の現在でしかない...。」
と述懐されます。不殺生を守り通すと私自身が命を落としてしまう。それは殺さずには生きていけない存在であることの事実に立ちなさいと教えられます。それを「存在することの罪」であると教えられ、これは言い換えれば「生きることの罪」に他ならないのです。この罪は刑法で罰せられる罪ではなく、宗教的生命感覚としての罪としてあるのです。自己を正当化する事ではなく、ただ申し訳ございませんと頭を下げるしか手立てがありません。
先祖の方々は、農作をしながら「殺」の上にしか成り立たない自分のいのちであるからこそ、「作上がり法筵」という仏縁を相続して下さったのではないでしょうか。 平成30年7月 貢清春