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いづくへか 帰る日近きここちして この世のものの なつかしきころ (与謝野晶子)

いづくへか 帰る日近きここちして この世のものの なつかしきころ

                         (与謝野晶子)

 与謝野晶子は、明治から昭和にかけて活躍された女流作家で、沢山の詩や歌を残されました。代表作の「みだれ髪」は有名で、出征する弟への想いを綴った「君、死にたもうことなかれ」も有名な作品です。また詩を書きつつも男女平等の必要性を訴え、女性解放運動にも精力的に参加されたお方でもあります。今月の言葉の詩は、晩年の歌を集めた『白桜集』の中の一首です。

 この詩を現代語に翻訳すると、「何処に往くか分からないけど、帰る日「死」を迎える時期近づいてきたようだ。その事を思うと、今この世でしてきた様々なことが懐かしく思われる。」という意味になるでしょうか。この詩は与謝野晶子が昭和17年、63才で亡くなる直前の作品ということもあって、死と向き合った素直な感情なのかもしれません。

 人生の終わり「死」が近づくと、今までしてきた過去の事が思い出されて、懐かしい、手放したくない、離れたくない、その様な感情が自然とわき出てくるものでありましょう。普段は何ともなく通り過ぎていた当たり前のことが愛おしく、とても大切なものだったと感じさせられるのも、死という世界を身に頂戴してからの眼差しであろうかと思います。

 「死は人生の試金石」という言葉を以前聞いたことがあります。死を目の前にして、私はこの人生で一体何を残したのであろうか、何をしてきたのだろうか、何が本当の依り所となるのだろうか、「死」を試金石にした時に、自分の人生まるごとの「生」が見つめられていくのであります。

 しかし作者の中で、「いづくへか、帰る日近き」(何処に往くか分からないけど、帰る日が近い)とあるように、往き先が分からない、いのちの故郷が何処なのかが、この詩を見る限りでははっきりしません。

 親鸞聖人は「名残惜しくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくして終わるときに、彼の土へはまいるべきなり」と『歎異抄』の中でおっしゃいます。いのちの帰るべき世界を「彼の土」と示し、彼の土とは阿弥陀の国土、お浄土の世界を表現しています。

 お浄土の世界を金子大栄先生は「それはまだ吾々の見ぬ真実の国であり、同時にまた懐かしき魂の郷里である『彼岸の世界』」と示して下さいました。見たことはないけれども必ず人間が帰着すべき懐かしい故郷として阿弥陀の浄土を説かれます。その世界に親鸞聖人は、「娑婆の縁尽き」れば必ず「かの土へはまいるべき」であると、生まれていくのであると教えて下さいます。

 この世に生まれたのも娑婆の縁ですし、この世を去って往くのも娑婆の縁であります。この世の縁尽きて命終わるその時に、必ずお浄土に生まれ仏になる身を、今、生きているのだという、大安心の道をいただいた言葉です。この道のことを「往生道」と言い、ご本願のはたらきによっていただく道であります。

 彼岸の中日には太陽が真西に沈みます。お浄土を願い想う生活を、自然現象の中で「西方を拝め」と位置づけて下さいました。この身このままで、阿弥陀の本願のはたらきによって浄土へ生まれる我がいのちであったことを、お彼岸の一週間を通して聴聞していきたいものです。   貢清春 平成30年9月

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