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考えてみると 私一人で最初から作れる物など 身の回りに一つもないのだ

考えてみると 私一人で最初から作れる物など 身の回りに一つもないのだ
                  『折々のことば』
 仏教の学問の中で「大乗非仏説」ということが、しばしば取り上げられます。それはおおよそこういう説です。「私たちが親しんでいる御経である『大経』、『観経』、『小経』などの大乗経典は、お釈迦様が亡くなってから数百年経ってから作られたものである。だからお釈迦様が直接説かれたとは言えない。だから仏説ということは言えないはずだ」ということです。

 しかし、法然上人や親鸞聖人は決してそのように受け止めておられなかったと思います。これらの経典はすべて「仏説」、仏が説かれた教えだと受け止めておられるのです。親鸞聖人は「それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」(聖典152頁)とおっしゃられています。『大経』こそ真実のおしえであるという頷きをもっておられるのです。

 たしかに私たちが今日仏説といっているのは、ほとんどお釈迦様が直接話した内容ではないと思います。だから、今現にあるお経は信用できないのではないかとなると、私たちが理解していることと、親鸞聖人の頷きとは程遠いことになってしまいます。

 しかし、まず大事に見落としてはならないことがあります。『仏説無量寿経』の説法をお釈迦様以外の誰かが創作したとしても、それを作ったのは間違いなく仏教に帰依した人であるはずです。とするならば、その人のところまでお釈迦様亡き後、何百年か経っても仏教が伝わったということだと思います。何も知らない人が『観経』の王舎城の悲劇を作ったりすることはできないでしょう。大事なことは、お釈迦様が亡くなっても、その創作した人のところにまで届いた仏教観、仏陀観があった。その人が、自分が出会った仏教観、仏陀観にもとづいて表現したのが大乗経典だと思います。
 
 もう一つ大事なことは、そうやって生み出されたお経にふれた人が「ああ本当だ」と頷いたということです。そこに表現された言葉から、時代を超えて共に頷くということが生まれてきました。一つのお経が仏説として受け取られ続けてきた背景には、その教えに頷いてきた無量無数の人たちが消えないで現れ続けたからです。

 「考えてみると 私一人で最初から作れる物など 身の回りに一つもないのだ」という言葉を掲示板で見て、ここまで確かめてきましたような「お経」の成り立ち、背景のことがすぐに思われたのです。単純にお経に出てくる単語一つとっても、私一人が作り出せるものでは到底ないわけです。もっといえばお釈迦様一人でもお経というものは作り出されなかったと私は思っています。お釈迦様が亡くなった後も、様々な人が生涯を尽くして確かめられたこととして、新たな言葉として紡ぎだされ、そして次にその言葉にふれた人は忘れられない言葉として受け止めてきたのでしょう。

 今回の掲示板の言葉は、物事の背景をきちんと見つめていくことが大切であることを伝えるものでした。一例としてお経をあげましたが、「私一人で最初から作れる物など 身の回りに一つもないのだ」の言葉のとおり、身の回りにあるすべてのものに無量無数の背景があるのです。そのことに思いを致す時、古くから大切にされた「有難い」という言葉もいのちをもってきます。  深草誓弥 平成30年12月

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