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尊敬できる人間を持ってる人間が光るんです。尊敬される人間は別に光らない。倉本聰

尊敬できる人間を持ってる人間が光るんです。尊敬される人間は別に光らない。倉本聰

 「あなたにとって、尊敬する人は誰ですか?」と質問されたら、誰の名前を挙げますか。
 "尊敬する人"をネットで検索すると、【尊敬する人を面接で聞かれたときの答え方。例文有り】や【就活面接で「尊敬する人」の話から効果的に自己PRする方法は?】等と、時代を反映しているのか、就職面接においての例文等の紹介がトップの方に検索されました。"尊敬する人"は就活には必要不可欠であり、用意しておかなければならない自分を表現するアイテムなのでしょう。

 しかしなぜ面接で「あなたにとって尊敬する人は?」を質問されるのでしょうか。就職面接ではその人がどの様な人と出会ってきて、どの様な人生を歩んできたのか。どういう言葉に影響を受けて成長して来たのかを知り、社員となった後で向上しながら育つことが出来るかどうかが判断されます。試験や履歴書だけでは見えない人間性を知りたいのです。人が成長することに於いてとても大切な事は「尊敬する人との出会い」だということがこの事からも知らされます。

 今月の言葉は、倉本聰さん独自の言葉かも知れませんが、おそらく蓮如上人御一代記聞書の言葉が基礎になっていると思われます。

 一 法敬、申され候う。「とうとむ人より、とうとがる人ぞとうとかりける」と。前々住上人、仰せられ候う、「面白きことをいうよ。とうとむ体(てい)、殊勝ぶりする人は、とうとくもなし。ただ、有り難やと、とうとがる人こそ、とうとけれ。面白きことを云うよ。もっとものことを申され候う」との仰せ事に候うと云々。(『蓮如上人御一代記聞書』235)
 現代の言葉に翻訳すると、「蓮如上人のお弟子である法敬坊が『尊いお方であると尊ばれるより、あの人は尊いお方だと尊び敬う方が、本当に尊いのです』と申された時、蓮如上人が 『おもしろい事を言うたものだ。いかにも道理のあることを法敬坊は申された』と仰せになられました。」
 
 自分が偉くなってみんなから「あなたすごいね」と尊ばれるよりも、他者の優れている所や美しい点を発見し尊び認めることが出来る事の方が、人として尊いのだということです。一見誰にでも出来る事の様ですが、これが本当に難しいことです。他人の素晴らしい所や才能を見つける事より、あら探しをしたり小さな欠点を見つける方が上手です。自分が褒められるのは嬉しいことですが、他人が褒められるのはあまりおもしろくはありません。失敗や不幸な姿を見て「ざまあみろ」と思う心も持ち合わせています。「尊敬できる人間を持ってる人間」とは、ほど遠い存在です。

 親鸞聖人は 「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり」 【一念多念文意】
 といわれ、命終わるまで腹立ち妬みの心はなくならない、それが凡夫の姿であると教えて下さいます。 その様な自分であることが知らされるからこそいよいよ仏法を聴聞し、お念仏を申す生活が必要なのです。宗祖親鸞聖人はお念仏申しながら、我が身の浅ましさを教えに知らされつつも、それでも救おうとする如来のはたらきに帰依された人です。その様な聖人の素晴らしい生き方に感動した人達が、次々と念仏者になっていかれたのです。念仏者が次世代の念仏者を無数に生み出し、今日まで相続されてきたのだと思います。それは尊敬の相続とも言えるのではないでしょうか。その相続の歴史の中に私たちがいることに、大きな役割と責任があるように感じます。 (令和元年5月 貢 清春)

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