ご恩報謝とは 恩を返すことではなく ご恩を無駄にせぬことである 小山法城
一つの物語を紹介いたします。お釈迦様が御在世の時のお話です。お釈迦様のお弟子の中に着物や食べ物等を粗末にする人がありました。その姿勢を見かねたお釈迦様は、そのお弟子に着物を脱がせて町を歩かせます。町の人から笑われるお弟子にお釈迦様は、「今は服を返せない。これをおまえにやるから着物を作りなさい」と言って、綿の花を一束お渡しになりました。お弟子はそれをつくづく眺めて「お釈迦様、私は、魔法使いではありません。とても綿から着物は作れません」と申しました。その時お釈迦様は綿から着物が出来るまでの事を、そしてお米が出来るまでのお百姓さん達のご苦労もお話になりました。
「私達が毎日暮らしていくには、お百姓さんや、着物を作る人、その他いろいろな人のお陰を受けているのだ。その人たちのご恩を忘れたり、その人たちのお陰を受けて出来た物を、決して粗末にしてはなりません。」とお戒めになりました。 「子どものための仏教ハンドブック(東本願寺出版)」より抜粋要約
というお話です。なぜこのお弟子は物を粗末にしていたのかというと、様々なお陰を受けて生きている事のご恩を忘れていたという事が原因でした。そこでお釈迦様は着物が作られ、お米が作られる詳細をお話になったのです。もしかするとこのお弟子は、着物やお米が様々な人と時間を要して作られる詳細を本当に知らなかったのかもしれません。その様なお弟子に対してお釈迦様は「知らせる」そして「気付かせる」という方法で諭されたのです。私達も同じように教えられないと、知らされないと分からないということが沢山あります。
ティク・ナット・ハンというベトナムの僧侶は「この一枚の紙の中に、雲が浮かんでいる」と語られました。一体どういうことでしょうか。紙一枚の中には「雲」という背景が欠かせないという事です。雲から雨が降り森を育て、立派な木となります。その木が紙の原料となります。木を育てる土や、微生物も紙一枚の背景には含まれているでしょう。以前、福浄寺で使っているコピー用紙がどこで作られているか調べたことがありました。コピー用紙の包装紙には「Made in Indonesia(インドネシア産)」とありました。おそらくインドネシア工場の近隣の山からパルプを採り、出来上がった紙が日本へと運ばれて、今ここにあるのだという背景が知らされました。それは想像も出来ないくらいの時間と、様々な人たちのご苦労が組み合わさってここにあるのです。知らされれば知らされるほど、無駄にしてはならないと思わされます。
ご恩報謝の「報」の字は「むくいる(報復、報酬)」という意味と、「しらせる(報道、報告)」という二つの意味があります。いただいているご恩に対して報いていこう、何かお返ししたいという心は大切です。しかし今月の言葉にありますように「ご恩」とは、ただただ如来様から頂戴するのみでありますから、返せるものではありません。私達が出来ることは、自らがお念仏のおこころをいただき、他の人に知らせ伝えていく事なのではないでしょうか。法要の時には必ず法話の席が設けられ、仏法を聴聞いたします。「聞法」とは自分自身にまで届いた念仏の背景や、様々なご恩を知らされ気づかせていただく事ではないでしょうか。
福浄寺の一年の行事は、1月の御正忌報恩講から始まります。1月は上旬が過ぎればすぐに御正忌の準備に取りかかります。仏具のおみがきから、お華束のお餅つき、餅盛りと華立て、お内陣の荘厳清掃等と、沢山の御門徒方々のお手数をいただいて準備が整い、御正忌をお迎えします。法要中は日中と逮夜のご参詣があり、お昼には婦人会の皆様方が作られる精進の御斎をいただきます。まさに御門徒皆様の御懇念と御報謝の総力を結集して、この御正忌報恩講が厳修されます。御門徒方々のご尽力と願いを「無駄にせぬ」ように自分自身が念仏申し、御正忌を大切に勤めさせていただきたいと思います。 令和2年1月 貢清春