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人が生きているって深いことなのだ それゆえにあなどれないのだ  渡辺 一史

人が生きているって深いことなのだ それゆえにあなどれないのだ  渡辺 一史

 今月の掲示板の言葉は、フリーライター、ノンフィクション作家の渡辺一史(わたなべ かずふみ)さんの言葉です。渡辺さんは2003年、札幌で自立生活を送る重度身体障害者とボランティアを描いた『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』で第25回講談社ノンフィクション賞などを受賞されています。今回の言葉は著書の『なぜ人と人は支え合うのか ─「障害」から考える』からの言葉です。2016年に相模原市で起きた障害者殺傷事件などを通して、障害者に寄り添うなかで、健常者から見た障害者という思想でなく、障害を持つ当事者の思想から人と社会、人と人のあり方を根底から見つめ直していくという内容の本です。

 三年ほど前に、たまたま見ていたテレビで、ある番組が放送されていました。難病のため人工呼吸器が片時も手放せない状態で、手足も動かせない青年の生活に密着したドキュメントでした。身の回りのお世話を全て家族にゆだね、食事もお母さんがミキサーですりつぶして食べさせてもらう。その生活の様子を見た私のなかに浮かんできたのは、「かわいそうに」という心でした。しかし、その青年は、ある時一人暮らしがしたいと、親に相談します。両親は困惑していましたが、青年の気持ちを尊重し、話し合って24時間、青年の一人暮らしの部屋にヘルパーが交代で見守ることなどを決め、はじめての一人暮らしを認めました。

 それまで、なかなか他の人との関係が開けなかった青年が、一人暮らしをはじめて、様々な人に自分から関わりを持とうと意欲し、充実した生活を送るようになりました。その時に記者から相模原の事件について質問され、応えた言葉に私は衝撃を受けました。

 「幸せか、不幸かは、その人自身が決めること。他の人が決めることはできない。障害者を見て「かわいそう」という心が植松被告を生み出している。」

 あわててメモを取りました。まさに私自身が「かわいそうに」という目線で、その青年を見ていたからです。言い当てられた言葉でした。私たちが日ごろ思いえがいている幸せとは何でしょうか。自分の思うようになったということもありますが、あの人より優れているとか、周りと比べて特別だ、というような優越感のところに幸せを感じています。しかし、今回の掲示板の言葉にあるように、「人が生きているって深いこと」であって、幸せは決して人と比べて感じるものではないのです。先ほどの青年の言葉にあるように、「幸せか、不幸かは、その人自身が決めること。他の人が決めることはできない」のです。その人自身にしか経験していない苦しみや喜びがあるのです。

 仏法は、何時でもない今、どこでもないここに、誰でもない私として存在していること自体に満足があると教えています。掲示板の言葉にある「あなどる」という言葉は相手を軽く見てばかにする。見くびるという言葉です。先の青年の言葉から、「勝手に不幸だと決めないで。見くびらないでほしい。あなたのいう幸せとは何か。」と叱責されているように感じています。 令和2年2月 深草誓弥

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