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震災で確信した 人は自然から学ばないと 絶対に賢くなれない 美術家 八巻寿文

震災で確信した 人は自然から学ばないと 絶対に賢くなれない 美術家 八巻寿文

 今でも当時の巨大津波の映像が目に焼き付いています。黒々とした波が押し寄せ、家や瓦礫もろとも海へと流されていく光景は、今まで見たこともない衝撃の姿でした。あの東日本大震災から、今年3月11日で9年を迎えました。地震の恐ろしさ、津波の強大な破壊力、自然の脅威に全世界がおののいた災害でした。被災され避難生活を続けられている方がおられる中、震災後バラバラとなった生活の回復は、途方もない時間を要していると報道されています。

 被災地では今なお様々な復旧活動が行われていますが、これは震災後2、3年たった後の話です。津波の被害にあった気仙沼の海岸に、海面から5、2メートルの高さの防潮堤建設を県が打ち出しました。その住民説明会の時に、「海が見えなくなるじゃないか」「津波が防潮堤を乗り越えてきたときは危険性が増す」など、住民は防潮堤建設に反対を訴え、疑問を投げ掛けました。しかし「住民の生命と財産を守る為」を理由に建設の見直しは考えていないという県の意向と、海と一緒に生きていこうとしている住民の方々の思いとは大きな隔たりがあった、という記事を見たことがあります。それから防潮堤建設は住民の思いとは逆に粛々と進められ、現在では大きなコンクリートの壁が町と海を分断するようにそびえ立っています。海が全く見えないコンクリートの塀に囲まれた町の中で、本当に安心して暮らすことが出来るのでしょうか。

 私たちの文明は科学技術を飛躍的に発展させて、自然災害を防ぐ「防災」に大きな力を注いできました。身近なところで言えば、スマートフォンで雨雲レーダーを見れば、いつ、どれくらいの雨が降るかを予測できますし、地震が起こる数秒前には緊急地震速報が流れ、揺れに備えることも出来ます。予測することで小規模の災害は防げるようになりました。しかし9年前の大震災の時には、想定外の巨大津波によってバラバラに壊された防潮堤のコンクリートの塊が海岸に打ち上げられていた姿が報道されていました。このような震災の被害の状況は、現代の私達に「人と自然とがいかに関わるのか」という大きな問題を提起しているように思います。

 京都府の南部を流れる木津川に「流れ橋」という橋があります。時代劇のロケ地として有名なので、おそらく誰でもテレビなどで見たことがあると思います。この橋は日本最大の木造建築橋で、川の増水時に橋桁があえて流されるように最初から計算して造られています。これは、初めから頑丈に造らずに流れたら造り直すという発想によるものです。川が増水すると橋桁が簡単に流れるようになっていて、流木やゴミ等の漂流物が橋に引っ掛ることがありません。また堤防の決壊などの損害を未然に防ぐこともできるそうです。また流れた橋桁を紐等(現代はワイヤー)で連結しておくことによって復旧がしやすくなります。これは自然と対立した関係では無く、共存していこうとする先祖の知恵が生み出したものであります。

 「自然から学ぶ」ということはこのようなことを言うのかもしれません。最大限の人間の知恵を使いつつも自然には逆らわず、自然の恵みも、災害も全て受け入れていく道を先達の方々は選択してきたのだと思います。大げさな表現かもしれませんが、私達が作った物は壊され流されるものなのだ。壊れたら作り直したらいいのだ、という付き合い方をしてこられたのが、流れ橋を作った方々の思いではないでしょうか。

 私たちの分別や計らいをこえて動いているのが自然の営みであります。自然のはたらきに抵抗し、人間との間にコンクリートで壁を作るのではなく、自然の声を聞き、自然と共に生き、自然の力を見直す事が私達には必要なのだと今月の言葉は問いかけている様に思います。 令和2年3月 貢清春

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