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人間であるということは 自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して 忸怩(じくじ)たることだ 『人間の土地』 サン・テグジュペリ

人間であるということは 自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して 忸怩たることだ   『人間の土地』 サン・テグジュペリ(堀口大学訳)
 *忸怩(じくじ) はじること。ここでは責任を感じるということ
何事も無縁ではない

 「星の王子さま」で有名なフランスのサン・テグジュペリは、陸軍飛行隊や航空郵便のパイロットをしながら、作家として様々な作品を世に送り出しました。「人間の土地」という本は、パイロット経験の中での随想集という構成で、文章全体が力強い「詩」の文体となっています。生きることに対しての真剣さ、喜び、自由、一行一行に作者のエネルギーが詰め込まれた深い内容となっていて、読むには大変な時間がかかります。それほどに作者の言葉に対する向き合い方が真摯に伝わってくる本です。

 今月の言葉はこの本の第2章「僚友」に出てきます。航路開拓の任を受けた僚友ギヨメが、アンデス山脈横断飛行中に3500m地点で墜落、雪と岩しかない山地で7日間を生き延び、救助隊に発見されます。墜落した後の2日間は飛行機の下に雪穴を掘り、嵐が過ぎ去るのを待ちます。その後、救助を求めに歩くのですが、足は凍傷のために腫れ上がり、意識は朦朧となりながらも歩き続けます。その時ギヨメはすでに死を覚悟して死に場所を探し歩いていたというのです。雪の斜面で倒れて死ねば、夏になって雪解け水と一緒に流されて遺体が発見されず、行方不明のままになってしまう。そうなると妻に支払われる保険金が4年後にしか支払われない。岩場に張り付いて息絶えればすぐに発見されるだろう、と岩場まで歩いて行くのです。もう死ぬしかない、生きる希望が無い極限状態の中で何故生きたのか、何故生きられたのかということを、

 「救いをもたらしてくれるのは、一歩一歩踏み出すことだ。一歩また一歩、同じ一歩を繰り返して・・・・」

 と、僚友ギヨメは語ります。サン・テグジュペリは生還したその彼の姿に感動し、どんなにつらい時でさえも今の事実を受け止め、そして真面目に、今自分が出来ることを精一杯尽くして生きる事の大事さを、ギヨメの遭難事件を通して語っていかれます。そしてその後に彼の素晴らしいところを「自分には責任があると感じるところ」と記しています。郵便物に対しても、僚友に対しても、人々の間で何か新しいことが行われようとすること対しても自ら参加して、責任を負わなければならない、そう彼は考えていると表現しています。

 そしてさらに自らの職務を通して知らされたことを「人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たる(責任を感じる)ことだ」と表現しています。これはどういう事かというと、渋谷豊訳の本では「自分のせいではないと思えていた貧困を前に赤面すること」と翻訳されていました。他人の喜びや悲しみや苦しみも、私と全てが関係している。無縁なものは一つも無く、自分自身の行動が世界の建設に貢献しているということを、人間として感じなければならないのだと記されます。

 新型コロナウイルスが中国で発生して約半年が経過しました。多大な感染者と死者を出したこの病気は誰が蔓延させたのか、その責任問題が大きな問題とされています。政府の対応が遅かったのでは、もっと早く空港を封鎖しておけばよかったのに、国はどう責任をとるのだ等々、全世界が犯人捜しに躍起になっているのではないでしょうか。

 しかし元はといえば、棲み分けられていた垣根を越えて人間が自然の奥へと侵入し、人間界にウイルスを持ち帰ったことが始まりだったわけです。コロナウイルスの宿主とされるコウモリは、様々な病原体のウイルスにとても強い個体へと進化したと云われます。そういった野生動物に接触し、ウイルスに弱い人間が仲介役となって、感染を広げていったとされています。自然界全てを人間の手の中に入れようとする思いが、様々な新しい病気を生み出す種になっているのではないでしょうか。私とコロナは無縁だとは、決して言えないと思うのです。私を含めた人間の責任として受け止めていかなければならないと思うのです。だからこそ私達が出来ることを、終息に向けての「一歩一歩」の行動が大事なのです。 令和2年5月 貢清春

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