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だあれもいない ひとりのとき おねんぶつさまが こうささやく   ひとりじゃないんだよ ひとりじゃ(木村無相)

だあれもいない ひとりのとき おねんぶつさまが こうささやく
               ひとりじゃないんだよ ひとりじゃ(木村無相)

 木村無相さんは、1904年熊本県八代に生まれられています。20歳の時、煩悩を断じて悟りを得ようと発心し、真言の教えを学び始めます。高野山で真言の学びを続けますが、親鸞聖人の念仏の教えに魅力を感じて京都へ下ります。しかし再び高野山に上り、また京都へ下りるというように、何度か京都と高野山を往復して仏法の探求を続けられたようです。その間に、自分の心境を念仏詩の形で発表されました。

 「だあれもいない ひとりのとき」に口から出た念仏が、一人でいる私に「ひとりじゃないんだよ」ささやいてくる。とても不思議な詩です。この情景を表面的にみれば、一人でいるときに、一人で念仏している私しか見えないのですが、木村無相さんはそうではないといっておられるのでしょう。大切にしたいのは、念仏申す私に、仏が、念仏を通して私に伝えているメッセージがあるということです。

 私が思い起こしたのは、幼いころの記憶でした。私は縁あって真宗寺院に生まれ、幼いころから、仏さまの前に座してお念仏を申してきました。両親、祖父母に連れられて、本堂やお内仏にお参りし、「なんまんだぶつ」と言葉に出す声と、合掌する仕草を真似て、私も「なんまんだぶつ」とお念仏申した微かな記憶があります。小学生になると、朝夕の嘆仏偈の勤行(ごんぎょう)の調声(ちょうしょう、*お勤めの時の導師)を兄と交代で行うようになっていました。

 しかし、中学生くらいになると家族の前で声を出すことが恥ずかしくなり、また「なんまんだぶつ」に対して、「こんなことして何になる」というような気持ちがわくようになり、勤行を避けるようになりました。仏さまの前に座ることも少なくなりました。そうして高校生、大学生となっても「なんまんだぶつ」に背を向けていました。「そんなことをして何になる」という思いが絶えずありました。

 そのような思いを抱えて大谷専修学院に入学しました。学院で学ぶうちに竹中智秀先生をはじめとした先生方の姿に魅力を感じるようになりました。そして、いくつか忘れられない言葉と出会いました。ある時、竹中先生が「念仏は、逃げるなということですよ」ということをおっしゃられたことがありました。私はそれまで自分のことは自分が一番知っていると思っていましたが、自分でも知らない、事実の自分を受け入れない自分がいることを教えられました。念仏から逃げているのではなくて、自分自身から逃げていたのです。

 どんな状況であっても、自分自身をみすてないで生きていってほしい。振り返れば、私に念仏申すことをすすめてくださったのは、父母、祖父母だけではなく、御門徒さん、直接出会ったことのない人々と考えると、無量無数におられます。すでに、私に先立って念仏の教えに遇い、念仏申して生きてこられた人がいます。その方々から「あなたの中にも事実の自分自身と生きていきたいという深い願いがある」と念仏がすすめられているのです。

 たとえ私が一人のときでも、この口から出てくる「なんまんだぶつ」に、無量無数のお念仏をすすめてくださった方がおられるのです。木村無相さんが念仏を「おねんぶつさま」という言葉で表現されたのは、もちろん阿弥陀仏のはたらきということを念頭に置いて「さま」なのでしょうが、念仏もうすことをすすめる諸仏の護念ということも大切にされているのだと思います。  令和2年10月 深草誓弥

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