生きているということは 誰かに借りをつくること (永六輔)
2016年83才で亡くなられた永六輔さん。このお方は「上を向いて歩こう」や「黄昏のビギン」「こんにちは赤ちゃん」など皆に愛される沢山の歌を残した、昭和の顔とも言うべき偉大な人です。今月の言葉は永六輔さんが作詞し中村八大さんが作曲した歌、「生きているということは」という歌詞の言葉です。1番の歌詞を紹介します。
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう
借りを作る時は必ず相手がいます。その人に借りを返せば借りは無くなります。しかしこの歌詞の中には特定の相手を決めていません。「誰か」となっています。これは家族や友人、仕事仲間や上司など、直接的に出会ったことのある人を超えて、目には見えない様々な人の事を「誰か」と表現されているのだと思います。永六輔さんは「目には見えない誰か」に借りを作りながら生きているのだと、そうしなければ生きていけないと表現されています。しかし私達は一体どんな借りがあるのでしょうか。
「借り」と表現される言葉の内容を、仏教の言葉で「恩」と言い換えても良いかと思います。「恩」とはインドの言葉で「カタンニュー(為されたる事を知る)」という意味があり、中国の漢字である「恩」の字に翻訳されました。「為されたる事を知る」とは、私にしてくださった行為が何であったかを心に深く考え、思い、知るということです。恩という字は「因」と「心」から成り立っているので「因(もと)を知る心」、字そのものが「カタンニュー」の意味を表現しています。生きているという事は、すでに他者から何かしらしていただいているご恩があり、その事を永六輔さんは、「誰かに借りを作って生きている」と表現しておられるのでしょう。
しかし、ご恩をいただいたらその当人にお返しすれば良いのですが、出来ない場合があります。目の前にその人がいなかったり、すでに亡くなってしまった人には返しようがありません。歌には「誰かにそうして貰ったように、誰かにそうしてあげよう」と、してもらった誰かでは無く、他の誰か別の第三者へと恩を送り届け、恩を送られた人はさらに別の人に恩を渡して、恩がこの世間を巡り社会全体が恩に包まれていく。その様な世界を願った歌だと思います。現代は「自分さえ良ければいい、他人はどうなっても構わない」という自分ファーストの時代に、本当はいろんな人のお世話や支えを受けて生活し、いつも借りを作っているんだよ、出来るところから返していこうねと、永六輔さんは歌を通して呼びかけておられます。
毎年、浄土真宗の寺院では親鸞聖人のご命日に報恩講が勤まります。お念仏の教えに出遇えたよろこびから750年以上の長い間、今日まで相続してくださいました。永六輔さんは浄土真宗のお寺の息子さんとしてお生まれなので、お念仏には小さい頃から親しんでおられたと思います。また芸名の六輔は、六字の名号「南無阿弥陀仏」に輔け(たすけ)られるようにという意味で名告られたと伝わっています。
私達真宗門徒にとっては、聴聞するご縁をいただき、お念仏によってたすかる道を聞かせていただいた事への借りがあるのではないでしょうか。親鸞聖人や阿弥陀様に直接その借りをお返しすることは出来ません。報恩講とはお念仏の教えに目覚め、有縁の人達と共有し、そしてご縁があれば他の誰かに伝えていく。その事が「借りを返す」という事になるのではないでしょうか。 令和2年11月 貢 清春