ロゴ:福浄寺

トップイメージ1 トップイメージ2 トップイメージ3

他人の欠点がよく見えること自体、自らの欠点である

他人の欠点がよく見えること自体、自らの欠点である

ダウンロード1515.png

 上の2つの図形(真円と一部が欠けた円)で、あなたはどっちが気になりますか?
 これはゲシュタルト心理学で使用される心理テストで、「欠けた円」という問題です。ほとんどの人は右の円の欠けている部分を注目すると思います。これは、完全なものよりも、不完全なものや欠けている部分に意識が向く、という心理特性が有ることを確かめるテストです。どうやら私達の目は、瞬時に欠点の方へと注目する様に出来ている様です。日常生活でも食べ物の形が他よりも悪かったり、一部だけ変色していると、腐っているのではないか、古くなっているのではないかと異常を感じたりします。悪いところや欠点に意識が向いてしまうのは、先天的に持っている本能の様なもので、防衛本能として備わっている感覚だと言われています。

 この感覚はそのまま他人にも向けられていきます。自分の生活を振り返っても、子供の良いところでは無く、ついつい悪い所に目が行きがちで、「あれが足りない、これが出来ていない」と事あるごとに不満を持ち、そして「ああしなさい、こうしなさいと」命令ばかりをしています。その命令通りに事が進まない時にはさらに子供を責め立てていき、何としてでも自分の思い通りに動かそうと必死になっていきます。

 なぜその様になっていくかというと、相手の存在をそのまま受け入れられず、自分の考える正しさと比較して、ついには自分と同じ正しさを他人にも求めていくのです。そして相手の気持ちや状況は考えずに、自分の考える正しさへと導こうとしています。さらに自分が正しい事をしているという思いがエスカレートすると、暴力へと発展していく場合もあります。それはまさに、今月の言葉で指摘される自らの欠点であります。

  (前略)
 正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい

 正しいことを言うときは
 相手を傷つけやすいものだと
 気づいているほうがいい  (後略)

 この言葉は吉野弘さんの「祝婚歌」という詩の一部で、以前はよく結婚披露宴のスピーチ等で引用されていたそうです。とある講師の先生から教えていただいた詩で、我が身の生活を振り返る大事な言葉がちりばめられているので、時折読む様にしています。

 この詩では、正しいことは言ってはいけない、相手を傷つけるので言わない様に、というのではなく、「相手を傷つけやすいものだと、気づいているほうがいい」とあります。欠点を見つけたら言わずにはおれない自分であっても、相手を傷つける事に痛みを感じなさいと教えられます。私といえば正しいと思うことを言うだけ言い、正義の剣を振り回しているような生活をしています。どこまでも自分の都合で相手を判断し、相手の欠点しか見ようとしない私であると教えられることが大事なのです。そういう我が身を教えて、気付かせて下さるのが仏法なのです。自他との出遇いは、そこから始まっていくのではないでしょうか。  令和3年 11月 貢清春

関連リンク