「地獄をつくる」(榎本栄一)
私どもには他をかえりみず 自分さえよければのおもいあり
地獄をつくる素因(もと)になるようです
今月の掲示板の言葉は、仏教詩人の榎本栄一さんの言葉が選ばれています。「地獄をつくる」という題ですが、私自身日ごろ地獄をつくっている自覚はあるかと問うと、ありません。自分の思い通りにならず、苦しい事が続くと、自分の置かれた状況を「地獄のようだ」と恨めしく思うときに地獄というばかりです。しかし、「自分さえよければ」というおもいは、持っていないとはいえません。おもいだけでなく、とっさにとる行動を振り返っても、「自分さえよければ」という感覚は、もはや血肉化されています。
地獄の獄の字の成り立ちを辞書で調べると、「二匹の犬が噛み合う」という字であると出てきます。二匹の犬が争い合い、わめきあっているすがたをあらわすのだと思います。この文章を書いている今日も、北朝鮮から弾道ミサイルが発射され、日本の上空を通過するという出来事がありました。二月から始まったロシアのウクライナ侵攻も未だ続いている状況です。多くの市民も巻き添えになっていることをテレビが伝えています。私自身、人間が人間を殺し、殺そうとしていることの悲惨さに目がいかずに、知らず知らず「どちらに正義があるのか」という関心にウエイトがかかってしまっています。
掲示板には、地獄をつくる素因として、「私どもには他をかえりみず 自分さえよければのおもいあり」とありますが、まさにこの言葉と通底しているのが、「自分が生き残るためには相手を殺すしかない」という主張です。この立場から戦争を繰り返してきたのが私たち人間ではなかったでしょうか。それにもかかわらず、弾道ミサイルの発射の後、インターネット上では「これは北朝鮮の宣戦布告だ」とか、「日本も核兵器を持つべきだ」という意見が見られました。私はあらためて戦争放棄を誓った日本国憲法の第九条に思いをいたしました。私は死んでも武器をもちたくありません。
「自分が生き残るためには相手を殺すしかない」という方法で本当に安心できる国、世界が作られるでしょうか。また、その「自分」はいつでも間違いを起こさない、絶対的な正義をもっているといえるでしょうか。私はそうは思いません。ドキュメンタリーディレクターの森達也さんは「自衛の意識は簡単に肥大する。解釈次第でどうにでもなる。かつて日本は戦争の大義として欧米列強からアジアを解放するということを持ち出した。ユダヤ人の殺戮はゲルマン民族を守るため。ブッシュ政権のイラク侵攻も大量破壊兵器を持つテロリストから世界の平和を守るため」だったと指摘し、「人は自衛を大義として人を殺す」と述べられています。
「人間の本当の願いは「通じあって生きたい」これだけなんですよ」と竹中智秀先生は教えられました。私はこの言葉に賛成です。戦争という地獄をつくる素因、「他をかえりみず 自分さえよければ」というおもいをもつ私だからこそ、敵、味方を作り争いを生む私だからこそ、あらゆる人と親しく尊敬しあえる世界を願います。 令和4年 10月 深草誓弥