世の中に「雑草」という草はない どんな草にだって ちゃんと名前がついている
(牧野富太郎) 「朝ドラ『らんまん』のモデル」
今年の四月からNHKの連続テレビ小説で、「らんまん」というドラマが放送されています。主人公のモデルは、日本の植物学の父といわれる牧野富太郎さんです。掲示板の言葉は、その牧野さんが生前に語られた言葉だと伝えられているようです。先日放送されたドラマの中でも、「役立たずの雑草」という言葉に反応して、主人公の槙野万太郎が「そりゃあ違う!名もなき草らあはこの世にないき。人がその名を知らんだけじゃ。」「どんな草やち同じ草らあ、ひとっつもない!一人ひとりみんなあ違う。生きる力を持っちゅう!」と力説する場面がありました。おそらく掲示板に取り上げた牧野さんの言葉が背景にあるセリフだと思いますが、この言葉がとても心に残りました。
寺の境内に芝生を植えているところがあります。暖かくなり、すでに「雑草」が生い茂っていました。やれやれと思いながら、少し草むしりをしましたが、どんどん勢いを増していきます。そこで芝生につかえる除草剤をまこうと思い、購入し、使用方法を見ました。すると、説明書には「芝生内のオオアレチノギク、メヒシバ、スズメノカタビラ、カラスノエンドウ等の退治に効果的」と書いてありました。恥ずかしいことに、どの草の名前も知りませんでしたし、これまで名前を知ろうともしていなかったのです。インターネットで調べると、全て見たことのある草の名前だという事に気付かされ、それまで「雑草」だとひとくくりにしていた芝生の間に生える草に不思議と興味がわいてきました。
アニメ『千と千尋の神隠し』で、名前について印象深い物語が語られています。主人公の萩野千尋が、異世界に迷い込み、湯屋の主人、湯婆婆(ゆばーば)に雇ってもらうように頼みに行く場面があります。湯婆婆は千尋の名前を贅沢な名として、千という数字だけの名にしてしまいます。のちに湯婆婆は相手の名前を奪って、その者を支配しようとするものであることが語られます。本当の名前を完全に奪われると、異世界から帰れなくなってしまうというのです。湯婆婆は名前を奪い、その者の自由や個性を奪い、意のままに操っていました。個性が失われた異世界では、皆、朝から晩まで働き、金をばらまくカオナシが現れると、一斉に奪い合います。一人ひとりが自分の考えを持ち、意見しあうようなことがありません。
あらためて自分の存在と名前は別のものではなく、一つなのだと思います。名前を軽く扱うことは、その者の存在を軽く扱うことですし、名前を奪い、「雑草」と一括りにすることで、いともたやすく「退治」、「支配」してしまう私になれるのかもしれません。
真宗の御本尊、阿弥陀さまは「私の名を広くすべての世界に響かせよう。もし聞こえないところがあるならば、誓って仏にはならない」と、自ら名を名のり、その存在を私たち一人ひとりに知らせようとはたらきかけている仏さまです。自分の全存在をかけて南無阿弥陀仏になられた仏さまです。その阿弥陀さまの名を呼ぶ声を、私も幼いころから聞いてきました。これまで数限りのない人々が、南無阿弥陀仏と名をほめたたえてこられて、その声が私のところまで至りとどいています。不思議なことに名前を軽んじ、他の存在の尊さ、また自分自身の存在の尊さを失い生きる私に、阿弥陀さまは、名前ではたらきかけているのです。 令和5年 5月 深草誓弥