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悲しみは 人と人とをつなぐ 糸である (藤元正樹)

悲しみは 人と人とをつなぐ 糸である (藤元正樹)

 令和6年1月1日に石川県で震度7を観測した能登半島地震がおきました。被害にあわれた被災者の方々に対し、衷心よりお見舞い申し上げます。

 北陸地方は浄土真宗の土徳の篤い地域です。能登、金沢、富山、小松大聖寺で約1280もの寺院教会があります。私も知人が多くいる地域です。地震が発生してから、何人かと連絡を取り合っていますが、皆さん能登の方が大変だといわれています。何かできることはないだろうかと思い、ご自身のお寺も被害にあわれる中、被災地に入り炊き出しや防寒用品を届けておられる方のところに、こちらから支援物資を送りました。
 しかし、発送作業をする中でも、「かえって迷惑ではないだろうか」、「こんなことしかできないのか」などいろいろな思いがわいてきました。現地に入り、炊き出しに参加している友人を応援することしかできない自分に、もどかしさも感じています。自分自身の無力さや、他者をおもうこころに限界を感じ、切なくなります。

 そのような中で、東日本大震災の時、大津波で本堂が全壊となった陸前高田市の佐々木隆道さんが被災後に語られた「忘れないでください。これが被災地一番の願いです」という言葉を思い起こしています。何かが出来た、出来なかったではなくて、被災された方が願っているのは「忘れない」ということだと思い返しました。

 今回の掲示板の言葉に、「悲しみは 人と人とをつなぐ 糸である」という言葉を選びました。震災の惨状を見聞きして、胸が締め付けられるような悲しみを感じた、その悲しみのところに他者の存在を感じられているということを教える言葉だと、あらためて思ったからです。さらにいえば、他者の苦しみに「何かできることはないだろうか」というこころが起こることも、決して私が起こそうとして起こした心でもなく、逆に止めようとして抑え込むことのできる心でもありません。悲しみの心は他者との関係の中で起こってくる心です。

 お釈迦さまが少年だったころの物語に次のようなお話があります。
お釈迦さまはある時、王様であるお父さんに連れられて、ある農村に出かけられました。その農村では農耕祭が行われていて、農家の人が畑を掘り起こすと、中から虫が出てきました。その様子を何気なくお釈迦さまはご覧になっていたのですが、どこからか鳥が飛んできて、その虫をついばんで、どこかへ飛び去ってしまいました。その様子を見ていた少年のお釈迦さまの胸の中に、悲しみの心が沸き上がってきて、傍らにあった木の下に座って「あわれ、生きものは互いに食み合う」と言葉をつぶやかれた、という物語です。

 この「あわれ」という悲しみの心はどこからおこってきたのか、という瞑想をされたのだと思います。互いに相手を犠牲にして生き延びようとするような、別々のいのちを生きていながら、しかし「あわれ」というこころがおこってくるのはなぜか、ということがとても大切なことだと思います。同じ一つのいのちを生きているのもかかわらず、バラバラであることへの痛みを感じるところに悲しみの心がおこってくるということを、この物語は教えているのだと思います。
 たとえ何かが出来なくても、悲しみの心を大切にすることが、被災者の方とつながる糸だと思うのです。悲しみの心を大切にすること。「何かできないだろうか」と念じ続けたいと思います。 令和6年 1月 深草誓弥

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